レクサスとオリーブの木

Yoda2006-02-05


以前ブログに書いた「The World is Flat」(こちらを参照)の著者、トーマス・フリードマンがそれ以前に書いていた本、「レクサスとオリーブの木」をコーネル同期のTさんから借りて読んだ。有名な本なので知っている人も多いと思うが。


トーマス・フリードマンニューヨークタイムズのジャーナリストで、「The World is Flat」と同じくグローバリゼーションとその影響、世界の変容がテーマ。レクサスは自由資本主義経済の象徴、オリーブの木は民族・国家・それぞれの個人が持つアイデンティティ、心の拠り所の象徴。グローバル化する世界において、この二つのバランスをいかに保つか、はたまた一部のイスラム国家のようにオリーブの木にこだわりすぎてレクサスから取り残されるか、といった内容を扱っている。


僕は大学生のころから、人間とは何か、人間はどこに存在しているのか、人間と社会の関係性、人間が社会を認識する切り口、などについて興味を持ってきた。大学生のころはそれが文学、哲学、歴史、そして一部の科学(脳、遺伝子、宇宙論のさわり)という分野への興味となって現れていた。ひょんなことから就職し、仕事を始めると、経営に興味を持つようになった。そして、MBA留学をしてから、特に今年、だんだんとエコノミクスに興味を持つようになった。次第に興味の範囲が人間とか個人に閉じたものから拡大していっている感じだ。


だがいまだに興味を持てないでいる(正確に言えば、気にはなっているが手をつけるのがためらわれている)分野が二つある。法律と政治だ。


「レクサスとオリーブの木」は、そんな僕に、「やはり政治と法律にも一定の見識を持つことが世界をより多重に認識できる」と諭してくれた。ひとつのレンズで世界を解釈するには、世界はもはや複雑すぎる。それは当たり前の話なのだが、以前の自分は「別に俺の興味の範囲内で解釈すればそれで十分」と思っていた、その認識自体に対し「ほんとにそれでいいのかよ」と言ってくれた。


そういう、グローバル経済や世界の方向性について、考えるきっかけとしては、この本はとても良かった。後半になってアメリカ賛美がはじまると何ともウザイ感じが否めないが、それでも、比較的バランスの取れた、最初のとっかかりとしては悪くない視点を提供してくれると思う。たとえや例も多く、読みやすい。ただしジャーナリストゆえ、「その例は面白いけど関係ないやろ」と突っ込みたくなる例もあることはあるけど。いずれにせよ自分としてはこの本をとっかかりに、ソロスやスティグリッツの本を読んだり、自分で考えたりしていこう、と思った。これも当たり前の話だが、この本もあくまでひとつの見方に過ぎない。


もうひとつ。普段MBAの学生に取り囲まれ、投資銀行やら何やら、サラリーがいくらだみたいなところにいると、世界には飢えている人がたくさんいて、一部の富裕層が富もエネルギーも独占しまくっているのだということを忘れてしまう。今後何をやるにおいても、そういう世界の根本的な問題を少しでも解決できることに携わりたい。そういうことも改めて考えさせてくれた。