Corporate Governance: 株主価値がすべて?


Corporate Governanceの授業で、Sunbeamという企業のターンアラウンドのために招聘されたAl Dunlapという人に関するケースが宿題になっている。昨日チームミーティングで議論が行われた。


「株主価値がすべてだ。他のステークホルダーが会社にいくら払ってるんだ?俺がケアするのは株主だけだ」と言い放つDunlap。明快だ。気持ちいいくらいだ。CEO就任にあたり多くのオプション及び株を手にした彼は、ものすごいレイオフを行ってコストを切りまくり、彼が就任したときは$12くらいだった株価が$53にまでなる。株主は大喜び。Dunlapはふんぞり返りまくり。


しかし、ターンアラウンドを急ぎすぎたひずみが出始める。成長のためには商品開発の競争が必須な業界で、レイオフしすぎのため商品開発力が落ちまくり。さらにアカウンティングの操作、テキトーな買収、などによって株価は再び急落してしまう。結局Dunlapはクビになる。


ケースには彼が就任したとき及び契約更改時の彼のCompensationについて、生々しい数字が掲載されていて、それが多すぎたのか、構成が悪かったのか、などについて議論する。彼の報酬はオプション(株価をある決められた金額で買い取れる権利)と株そのものが中心で、特にオプションが多い。
与えられたOptionが多すぎて結果としてDunlapにriskをとるモチベーションを与えてしまったのではないか、と。


昨日の議論でひっかかったのは、彼の「株主のことだけ考える」スタンスについてどう思うか、というテーマだった。チームメイトのBは、「J&Jの有名なCredo(社員がよりどころとする信条集みたいなもの)を見ても分かるとおり、株主だけでなく、従業員、地域コミュニティなどを含めてトータルで責任を持つのが会社の役目」と至極まっとうな議論を展開した。それに対しTさんは「長期的に見たらそうだろうけど、もともとDunlapはそんな長期的視野で招聘されてないし、彼のビジョンは株主の目的と合致していた」という議論。それもそうだ。


なんとなく議論のポイントにブレがある気がしたので、帰ってからも気になっていたが、こういうことではないかと思う。

1.株主のことだけを考える、というスタンス自体が正しい/誤りなのか。つまり会社にはその他のステークホルダーの価値のためにも尽力する義務・責任があるのかどうか


の議論と、

2.株主のことだけを考えるのが正解だとして、その目的のために、ステークホルダーを軽視するのが正しい/誤りなのか


という二つの、似ているが異なる議論が混在している。


つまり、会社にとってステークホルダーを大事にすることは義務・責任という議論が1.で、株主価値をあげるための手段だ、という議論が2. Bのスタンスは1において「義務・責任がある」というものだし、Tさんはどちらかというと2.で、長期的には軽視しちゃだめだけど短期的/状況次第によってはありうる、ということかな、と思う。(違ってたら指摘してください、Tさん)


僕はまだ、どういうスタンスを取るべきなのか正直わからない。「会社はその他のステークホルダーの価値に対し義務・責任がある」という意見は建前のようにも思えるし、実際にどのような義務・責任があるのか明確でないし、各企業の裁量次第なところが大きい気がする。たぶんエクセレント・カンパニーは意識的・無意識的にこれを信じてやっているのだろうし、自分が会社を作るとしたらこういう信条で作りたい/作るべきだと思うけれど、「なぜ義務・責任があるのか」と問われたときに、構造的に返答する自信がない。(それが得だから、と答えると、2.の議論になってしまい1.の議論自体に答えていない)


また、「ステークホルダーを大事にするのは株主価値をあげる手段にすぎない」だと、あまりにエコノミクスに偏った姿勢で、こういう考えでいると資本主義のワナにはまる気がする。これから授業を通して学んでいく中で、自分のスタンスを形成していきたいと思う。